生きる不安・お金の不安の変容その3

スピリチュアルなお話で、自分が望むことが現実なるとはよく言われる話

例えば、行きたいくない会合があると自分が病気になるとか、(これはまだ頷ける)お子さんが熱を出すとか。はたまた電車を遅延させるとか、交通事故まで起こすとか。

本当かな〜?と思うけれど、最近、本当にそうかもしれない、という気持ちになってきた。

私がどんなに貯金を持っていても

会社員として定期的にお金を得て生活していた時も(しかも実家で!)

生きることが怖かったり、

きっとお金がなくなって最後はのたれ死んでしまうんだって感じていた恐怖は拭えなかった。

それは小さな頃に勘違いしてしまった、自分の大切な信念がいくつにも重なっていたことが原因だった。

その長い長いロングストーリーを解いていった先に見えたものは

私のやりたいことの一つはやっぱり

”人が望みの通りの人生を生きること”

それをお手伝いするお仕事だったのです。

加えて私は遊ぶこともとても好きです。

遊ぶためなら、どんなことをしても手段を選ばず人にたかってまで遊ぶ根性?のようなガッツがあります。

誤解のないようにお伝えしますが、私は働いていますが、変な話、働かずに人のお金で遊んで生きて人生を終えていくこともできたと思うんです。それくらい、現実を動かす力が、遊ぶことに関しては私はあると思っています。(思考が現実化する)

それくらいの確信があるのですが、生きる恐怖、お金がなくなる恐怖は持ち合わせたまま、遊ぶ人生、矛盾のように感じますが、そんな生き方をしてきたし、このままいけばそのまま人生を逃げ切って全うできたとも思っています。

そして、自己嫌悪に陥り、ずっと自分を責めて、無力感と無価値観を持ったまま卑屈に生きることもできたんだと思います。

お金がなくなることにビクビクしながら、与えてもらったものにすがりながら、その範囲で暮らしていくような気持ち。

遊び通して暮らせたとしても全く幸せではない人生です。

もう少し説明をさせてもらうと

呼吸をするように人のお世話になりながら人生を楽しく幸せに生きている人もいます。

私はその人たちのことは全く否定しませんし、むしろその人の望みの人生を送っていると思っています。心からその人が幸せを感じて、自分の使命を生きていれば、全然いいと思います。

だって、それが(遊んで暮らす事が)その人の使命だから。

しかし私の魂はそれを望んでいなかった。

望んでいない人生を送るとどうなるか。

そう、いろんな大変なことが起こってきます。

望みの方へ向かっていくように人生は流れていきます。

私はとても恵まれています。

幼い頃から、その恵まれたものを拒否して素直に受け取らない気持ちがありました。

そのくせ、自己卑下して自分ができることをやろうとせず、なぜ無力な私に愛を与えてくれないのか?とすがる思いもありました。

(それが父の言う、お前はこ●きのようだな、と言う言葉につながります)

ずっと無力だと思っていた自分

だけど、自分の能力を最大限に使って生きていきたいと言う気持ち

そして遊ぶことも大好きな私

いろんな思い(信念)がこじれて、それが解けていったとき

私の自身の奥から出てきたものは

人の本当の望み=魂の使命を生きるお手伝いの仕事をする!

そして遊んで暮らす!

と言うものでした。

揺るぎない、誰の望みでもない、誰にも頼まれていない、

私自身が望んだことです。

やっていることは今と変わりありません。

でも、心の中は全く違います。

生きることへの恐怖、お金がなくなることの恐怖は全く違うものになりました。

追記:

ちなみに看護学校中退という経歴がありますが、学費は途中から自分で払っていました。

そして卒業10日前に退学しています。

それくらい、捻くれていたんですね〜。

両親への愛の渇望がすごいですね!

続く

この大きな変容は今年に入ってスルスルと解けていったものです。

引き寄せるコツ、思考が現実化するコツ、思い込みが外れるコツをお伝えして変えていく

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ʻOluʻOlu

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