美しさを許していく

中学生の頃、妹の担任の男性の先生が

お前のうちのお母さんはとても美人だな

次にお姉さん

年の順で美人度が変わっていくんだな

ということを妹に言っていた

今ならその先生首になってしまうのではないかな?

男性の心理はわからない、その先生が特別でないのかもしれない。(母が一番美人という意味ではなく)

時代が変わってそうゆうことをあからさまに言う人はいなくなっても心の中はわからない。

女性の容姿、年齢はとてもプレッシャーがかかっているように感じる。

そして私は母からそのことで妹がとても傷ついている、と言うことを聞いた。

どうしておねいちゃんばっかり、と。私はなんで美しくないの?と。

私はその言葉にも実は傷ついていた、と言うことを最近気がついた。

妹がそれによって傷ついている、と言う事実が悲しいかったし、やるせなかった。

妹だって本当に美しいのに

私はいち女性として綺麗で美しくありたかったし、おしゃれもしていたかった。

思春期特有の自意識も強かった

でも

どこかで美しいと言われる事に

罪悪感を持っていたのかもしれない

それは妹の出来事もあったかもしれないけれど

世間の大きな価値観、容姿や年齢から受ける反応から、

私自身が自分を表現していく事が怖かったんだと思う。

 その罪悪感や恐れに最初に気がついたのは

ハワイ島で

あなたを最初に見たときに、とても綺麗でスタイルがいいと思った。

だけどそれをわざと隠そうとしているように見えた。

と言われた出来事があった。

そこから自分の何かがゆっくりと開いていったように思う。

日本は露出が少ない国だし

日本でもビキニを着ていたけれど

着ているだけで

何を頑張っているの?

と言われたこともある

自意識過剰な私は周りの言葉にビクビクして

今なら信じられないけれどキャミソールやタンクトップ、肩を出す服を着るのもとても勇気がいる時期があった。

肌を露出することを特に言いたいわけではなくて

着たい服が着れない事が、とても自分の抑圧につながっていたんだなあ、と言う事

日本では

デブ

と呼ばれてしまうような体型の女の子が

タイトなドレスにハイヒールで夜のパーティーに笑顔で

ルームメイトみんなに喝采を浴びて出かける姿をみると

どうして細い体の日本人が少しお尻が大きいくらいで悩んでいるのかが分からなくなった。

お尻を魅力的に見せるのに

シリコンを入れる国だってあるのに。


クィアアイ

と言うNetflixでやってるゲイ5人が依頼人を大改造する番組が好きなんだけど

美容担当のジョナサンが

あなたはそのままで美しいんだけど、残念な事にこの世の中ではまだ人を外見で判断してしまう風潮があって、受け入れられやすい風貌に変えていくね、と言うセリフや(人前に立つ職業の人など)

ファッション担当のタンが

あなたは自分を美しくないって思うかもしれないけれど、僕が見ているあなたの美しさをあなたにも見えるようにしたいんだ

と言うセリフにジンときた

誤解を恐れずに言うと

私は人は全部見た目に出ていると思っている。

その人の内面が全部外見にも出ていると思う。

造作、容姿、体型、ファッション、

と言う事ではなくて

その人が発しているエネルギー

私の調子がいいとき

つながっているとき

夕日に照らされたただの石ころがとても美しく見えるし

花瓶に生けたバラの花束も、道すがらの雑草も同じように美しく見える

私は

私自身の本質にも気づいて

自分が美しくあることをある時から許し始めた。

それはそのままであることを許し始めた事でもある

すごく表現が難しいいけど

分かってもらえたら嬉しい。

ʻOluʻOlu

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